2007年8月20日月曜日

気宇なまでに幽玄

昨夜は 大花火大会に行くはずが いきなりの予定変更で霧島へと 行ってきました。

天孫降臨霧島祭・・天照大神(アマテラスオオミカミ) やアマノウズメノミコトの言い伝えを再現した豊饒祈願祭?。

二尺玉大輪への捨てがたい想いを引きずりながら・・未練たらたら



霧島神宮の厳かで幻想的な雰囲気の中で ゆらゆらとゆれる松明の炎やはかなげな笛の音の響きが、やおよろずの神々のいた古代へと誘ってくれます。



樹齢年数はるか大昔の御神木たち、静かではあるけど確かな呼吸は 脈々と続いていて・・・

私達 現代人が 灯ろうや松明の明かりの下で、たのしみ事に 興じる様を どんな面持ちで 見下ろしていることやら・・・・。



ほとばしれ!  あふれよ!

九面太鼓や湯布院の源流太鼓の演奏を体感して思うのは、感動を 与えようとするなら やはり なんらかの犠牲も必要なのかな?と

それは自分の中のいろんな欲望だったり、葛藤だったり。

単純な楽器だからこそ、その時の心がストレートに出そうだな よくも悪くも・・・



源流太鼓のメンバーの方と話せて、たたいてる時に腕が もう限界なときは どうしているか聞いてみたら・・・そんなときは ひたすら心を『無』に近づける という答えが返ってきました。

その言葉が すごく印象的で 生きていくなかでも それって必要だなと感じたり。

メガトン級の花火の妙味は味わえなかったけど でも まあ それにも勝る感動は あったかな。

そして 今日も霧島高原太鼓祭りに行って、さすが二日続けては、疲れた~。